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2013年1月15日 (火)

Unconsciousness

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 同世代の友人と話していると時折、「人生の折り返し地点」というような話題になることがある。正直、僕もそんな風に時間を捉えてしまうことがないわけではないけれど、いつもどこかに違和感を感じていた。果たして本当に人生の折り返し地点なんてあるのだろうか。

 中学生の頃、自分は35才くらいで死ぬのだろうと思っていた。それはそれ以上の年齢を生きる自分を全く想像できなかったから。気がつけばもうとっくにその地点は通過している。

 24の時、バンドメンバーのベーシストがレコーディング中に事故で死んでしまう。若い僕にとってはとても大きな喪失だった。32の頃、自己のグループに参加してもらっていた敬愛するピアニストを病気で失う。去年僕は彼女の生きた年月を超えた。

 人間は誰でも明日死ぬかもしれない。そして僕は想定した年齢を超えて生きている。つまり、今は毎日が特別に与えられたエクストラな時間だと考えたいのだ。それは決して悲観的な想いではない。音楽という終わりのない地平に立つとき、自分にあとどれだけのことができるのかという恐怖を感じずにはいられない。残り時間なんていう考え方をするならば、たとえそれが20年、30年、40年だろうが大して違いはない。それよりは今という時間だけを思うほうが、ずっと前向きに音楽と向き合える気がする。

 関連性があるのかどうか分からないけれど、このところ無意識の領域で演奏したいという想いがますます強まっている。子供や知的障害者の描く絵に信じがたいほどの衝撃を受けることがある。存在の核を揺るがされるような純粋な美しさ。意図やアイデンティティーから解放された感受性。いや、むしろ純粋なアイデンティティーの発露と言うべきなのか。しかし、それを音楽にそのまま置き換えることは難しい。僕は、子供が絵を描くように演奏したいのであって、子供が演奏するような音楽を目指しているのではないのだろうから。

 いずれにしても、今という瞬間だけを生きるということがキーワードな気がしている。無意識であること。それを意識し、思い悩んでいては、決してその領域へは近づけないことは明白である。こんな文章を書いているようでは、僕はまだまだなのだ。

 

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